きゅーの感情記録

一生繊細、しあわせに勝つ૮ . ̫ . ა

「感性」という宝

長期休みに入って、人と会うことが減った。

 

いちおう、「買い物」とか「散歩」とか、理由をつけて外へ出る。でも、充足感は得られないのだ。

 

学校行くのヤダ〜!と言って、いやいや早起きしていた頃が、妙に懐かしい。

 

うんざりしていたけれど、あの時は生きている実感があった。嫌なことも、幸せなことも、さして変わらないのかも。たとえ嫌なことでも、その「何か」は、たしかに私を満たしていた。

 

人間が本当に死ぬのは、何も感じなくなった時だろう。

 

目の前のものに感情を示すとき、人は最も人らしくなる。

大切な人を失い、涙を零す。会話の隙間で、お茶をのんで場を繋ぐ。どれも人間の特権だ。

 

そうそう、「空気を読む」って、人にしか出来ないよね。繊細な気持ちの機微を感じ取るのも、人間の特権だ。

 

空気を読んで愛想笑いをされたとき、「あぁ、このひとも人付き合いをするのか」って、ちょっと嬉しくなる。歯切れのわるい愛想笑いは、そのひとの不器用さを垣間見れた気がして好きだ。

 

人ってなかなか弱みをみせないから。楽しい話よりも、新鮮に響く。

 

人は泣いて産まれてくる。大きく感情が揺れ動いたとき、涙を零す。泣くことこそ、真に人間らしい姿と言えるのだろう。

 

目の前の景色に、不感症になるまえに、わたしも外へ出ていこうかな。疲れない程度に。

 

風の匂いに気づけたら、変な色の車に気づけたら、昨日よりちょっといい日でしょう。

「感じる」特権は、わたしだけのものだから。

 

では、またね。

 

 

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